東京地方裁判所 昭和47年(モ)8662号 判決 1972年8月16日
債権者 株式会社常陽銀行
理由
一 申請の理由たる事実については、当事者間に争いがない。
二 抗弁事実についても当事者間に争いがない。
ところで申請外会社が債権者に手形金元本八〇万円を支払つたことを理由に債務者は右手形金の支払を拒みうるであろうか。
この点につき手形行為の無因性から消極に解する見解もあるが、手形行為の無因性を定めた法の趣旨は、手形譲受人の権利を確保して手形の流通性の円滑化を図ることにあるから、すでに手形の所持人が手形金額の弁償をうけて手形取得の目的を達している以上、同一の手形金の支払を求めうる何らの固有の経済的利益を有しないといわなければならない。従つて特別の事情のない限り、以後手形を保有すべき正当の権原を有しないこととなり、手形上の権利を行使すべき実質的理由を失つたものといえるから、なお自己の手裡に手形が存するのを奇貨として手形金の支払いを求めようとすることは権利の濫用ともいうべく、手形債務者は手形所持人に対し手形金の支払いを拒むことができるといわざるを得ない。
これを本件についてみると、手形割引をした債務者が、すでに申請外会社から手形金元本八〇万円を回収し、右手形を取得した目的を達しているのであるから、利息債権はさておき、少くとも手形元本八〇万円の支払いを請求する実質上の権利は無いといわざるをえないし、また特別の事情(債権者が右手形の実質的権利者である申請外会社から権利の譲渡をうけ、あるいは権利行使の委任をうけているということ等)について主張もないので、債権者の請求は権利の濫用ともいうべく、債務者は右手形元本八〇万円の支払いを拒むことができる。
従つて行使できない権利は無きに等しく結局手形元本債権は消滅したというに等しい。
三 次に債務者主張の利息債権が本件仮差押によつて保全されるべき権利の範囲に含まれているか否かについて判断する。
債権者主張の利息金一七万円余が存在することについて債務者は明らかに争わないから自白したものとみなす。
仮差押の効力は、これによつて保全しようとする債権の限度に限られるものであつて、これを超える部分にまで及ぶものではない。
従つて本件仮差押によつて保全された権利の範囲は、その決定書によつて明らかのように手形元本八〇万円をもつて請求債権額とするもので、右の限度にとどまるべく、利息債権に及ぶものではない。
なお、債権者の主張には利息債権について申請の範囲の拡張変更を求めていると善解しうる余地があるのでこの点についてみると、保全処分決定に対する異議訴訟において、右決定に対して債権者に不服申立の途がないことや、原決定の当否が判断されることなどから考えて申請の範囲を拡張することは許されないと解する。
いずれの点からみても債権者の利息債権について、なお被保全権利が存在するとの主張は採用するに由がない。
四 以上の次第によつて、本件仮差押の申請はその被保全権利が消滅したというべきであるから、さきに債権者の申請を容れてなした別紙目録記載の債権に対する前掲仮差押決定はこれを取消し、本件仮差押申請を却下する
(裁判官 山田勇)